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2013年にヴィス島コミジャで始まった音楽祭が、来場者の事前クラウドファンディングのみで運営費をまかない、地元当局の招致で野営地の提供も受けて続いてきた

Goulash Disko Festival

クロアチア / スプリト・ダルマチア郡 / コミジャ市

2013年にヴィス島コミジャで始まった音楽祭が、来場者の事前クラウドファンディングのみで運営費をまかない、地元当局の招致で野営地の提供も受けて続いてきた
© Klubska scena — この写真が載っている記事

2013年開始のクラウドファンディング型音楽祭は、2015年に一時プーラの別祭へ統合されたのち地元当局の招致で復帰し、2024年に現在地での開催としては最後の版を迎えた。

何をしたか

クロアチア・ヴィス島の町コミジャで、2013年に音楽祭Goulash Disko Festivalが始まった。スポンサーを持たず、来場者がチケット代を前払いするクラウドファンディングのみで開催資金をまかなう仕組みで運営されてきた(Info zona、2014年6月27日)。2015年に運営体制の負担からプーラの別の音楽祭と一時統合されたが、その版のあとコミジャの地元当局がインフラと野営地の提供を申し出て呼び戻した(Klubska scena、2024年9月12日)。来場者は毎回1000人までに限定され(Total Croatia News、2022年4月9日)、2024年9月の版は、現在の会場カメニツェ海岸でおこなう形としては最後になるとされた(Klubska scena、同記事)。

誰が始めたか

発起人として一貫して名前が挙がるのはYves Taquet氏である。Klubska scena(2024年9月12日)の本人インタビューによれば、Taquet氏はダブリンに住んでいた時期に自らのクラブイベントを主催するようになり、2012年にヴィス島コミジャで結婚式を挙げた際、世界各地から集まった参列者と1週間にわたる催しを行った。その後クロアチアに移住し、イベント運営の経験と、コミジャではまだ聴かれていなかった音楽を持ち込みたいという構想、周囲の友人たちを結びつけ、2013年にカメニツェ海岸のビーチクラブで最初の4日間のプログラムを組んだという。同氏は、この年のGoulash Diskoが、世界で初めて完全にクラウドファンディングだけで賄われた祭りになったと振り返っている。

一方、Info zona(2014年6月27日)は、共同創設者・運営者の一人としてIva Kvakić氏を紹介している。同氏によれば、Goulash Diskoの夜は2011年にダブリンのクラブで始まり、来場者が急増して間もなくクラブ全体を借り切るようになったという。その後ザグレブに移り住んだ運営陣が、かつての一体感を求めて開催地をヴィス島コミジャのカメニツェ海岸に移したと同氏は説明している。両記事はいずれもダブリンのクラブイベントを起点とする点で一致するが、紹介されている中心人物と経緯の詳細は異なっており、本レコードはそれぞれの記事の記述をそのまま並記する。

いくらかかったか

Info zona(2014年6月27日)によれば、Goulash DiskoはクラウドファンディングサイトUluleを通じた集団資金調達(grupno financiranje)でその年も全額をまかなっており、来場者はチケットを買うことで同時に開催そのものを保証する仕組みになっていた。

Klubska scena(2024年9月12日)の本人インタビューでYves Taquet氏は、2015年にコミジャへ戻ってからの資金集めについて、一時期は資金をどれだけ速く集められるかを競うような盛り上がりになり、早期割引チケットを求める数百人が列をなすほどの熱気があったと振り返っている。同氏は「5分間で5万ユーロを集めたこともある」と述べているが、これが具体的に何年の版のことかは同記事に明記されていない。

Punkufer/Dnevnik.hr(2019年7月22日)は、2019年9月11〜15日開催の版について、追加で購入する1週間分の野営チケットが200クーナ(旧ユーゴスラビア諸国出身者は150クーナ)、通常の入場券が1200クーナであるのに対し、旧ユーゴスラビア諸国出身者は半額の600クーナになると伝えている。

新型コロナウイルスの流行は財政に打撃を与えた。Klubska scenaによれば、ある年は開催そのものを取りやめ、別の年は感染対策下での縮小開催となり、その過程で相応の資金を失い、それまでの成長のペースが鈍ったとYves Taquet氏は説明している。加えて、来場者が自家用車で来るようになったことで、それまで野営地として使っていた駐車場を失い、新たな法規制・税・諸費用の増加も重なって、以前と同じ水準の運営を保つこと自体が難しくなったと同氏は述べている。

真似するなら最低何が必要か

チケット購入自体を開催の担保にする設計が中心にある。Info zona(2014年6月27日)でIva Kvakić氏は、集団資金調達とは、人々がチケットを買うことで同時に開催そのものを保証したということだと説明しており、来場者と運営者の境界を薄くする仕組みになっている。同氏は「Goulash Diskoの来場者には、消費するのではなく貢献してもらわねばならない」とも述べており、地元の食事や飲料の提供者との結びつきを重視してきたとしている。

規模を抑えることも運営の前提になっている。Klubska scena(2024年9月12日)によれば、初開催の2013年は約500人だったが、翌年には来場者数が3倍になり、対応できるインフラが整っていないまま本格的な規模の祭りになってしまったとYves Taquet氏は振り返る。この経験からその後は来場者数を毎回1000人までに限定する方針が続いている(Total Croatia News、2022年4月9日)。

自治体との関係づくりも要素の一つである。Klubska scenaによれば、2015年にプーラへ一時統合したのち、コミジャの地元当局は祭りのインフラ一式を整え、合法的な野営地を提供すると持ちかけ、Taquet氏らを呼び戻した。同記事でTaquet氏は、この祭りがコミジャの住民に、それまで聴く機会がなかったであろう国外の演者や音楽に触れる機会を提供してきたと述べている。真似する場合、こうした自治体との関係と、来場者を消費者ではなく参加者として扱う運営方針の両方が土台になっていると言える。

今どうなっているか

Klubska scena(2024年9月12日)によれば、コロナ禍を経てコミジャ自体の周辺環境も変わりつつある。Taquet氏は、かつてカメニツェ海岸を囲んでいた廃工場ネプトゥンや旧兵舎に代わって、5つ星ホテルのような高級リゾート開発が進みつつあり、Goulash Diskoが大事にしてきた雰囲気とはそぐわなくなってきていると述べている。

2024年9月18〜22日に開かれた版について、同記事でTaquet氏は、カメニツェ海岸という現在の場所でおこなう形としては最後の開催になると説明した。同氏は、運営を続けるための事務手続きや法規制対応に多くの時間を取られるようになったことへの疲労を語り、これまで力を注いできた質の高いラインアップづくりに立ち返りたいという趣旨を述べている。今後については、2025年を休養年とし、自身がヴィス島に所有する土地で、年々手を加えていけるような恒久的な施設を作る構想を語っているが、同記事の時点でこれはTaquet氏自身の希望・構想として語られたものであり、実現したかどうかは参照した出典からは分からない。

出典

  1. Goulash Disko - drugačiji festival — Info zona(2014-06-27)
  2. Goulash Disko Festival 2016. — Pozitivan ritam(2016-03-30)
  3. Goulash Disko Festival: Najluđi viški festival — Punkufer (Dnevnik.hr)(2019-07-22)
  4. Croatian Music Festivals: Hidden Gems to Visit in 2022 — Total Croatia News(2022-04-09)
  5. Razgovor s osnivačem Goulash Diska: Je li ovo uistinu posljednje izdanje festivala? — Klubska scena(2024-09-12)

最終確認日 2026-09-03

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