瓦の産地で瓦工場を芸術の場に変え、瓦を鳴らす祭りを住民の側から立てた
Jatiwangi art Factory
2005年9月27日に瓦工場を芸術の場に変えて始まった。2012年に住民が瓦を打ち鳴らす催しを始め、2022年にはドイツの documenta fifteen に出た。2024年時点で18年続いていると報じられている。
何をしたか
インドネシア・西ジャワ州マジャレンカ県ジャティワンギ郡ジャティスラ村で、瓦工場の建物を芸術の場に変え、その土地が焼いてきた土(粘土)そのものを作品と祭りの素材にした取り組み。Koalisi Seni(2019年11月23日)によれば、Jatiwangi art Factory(JaF)は2005年9月27日に設立された非営利団体で、祭り・上演・美術・音楽・映像・陶芸・展示・作家の住み込み制作・月例の議論・ラジオ放送・教育を通して、農村の暮らしを研究することを軸に置いている。
始まりは帰郷である。 detikcom(2024年2月28日)によれば、設立者のアリエフ・ユディ・ラフマン氏は2005年、同じくバンドン工科大学で美術を学んだ妻のロラニタ・テオ氏とともに郷里へ戻り、瓦工場を芸術の場に変えた。
素材が瓦であることには土地の由来がある。 JaF ディレクターのパンドゥ・ラハディアン氏は、ジャティワンギが1905年から粘土を瓦にしてきたため、住民と自分たちが土を瓦にする以外の仕方で地域を語り合いやすくなっていると述べている(Liputan6 2024年7月17日)。
3年ごとに祭りがある。 瓦の祭りと、瓦工場で働く人の体づくりを競う催しである(detikcom 2024年2月28日)。ただし Liputan6(2024年7月17日)は、体づくりの催し Binaraga Jebor を年次の催しとし、3年ごとなのは Tahun Tanah とその中の Rampak Genteng だと書いており、周期の書き方は出典間で割れている。
誰が始めたか
団体は住民の側から立ち上がっている。 detikcom(2024年2月28日)によれば、アリエフ・ユディ・ラフマン氏は、村の人たちが最初から相互扶助(gotong royong)で助けてくれなければ、ここまで続かなかったと述べ、それが団体を強くしたとしている。 同氏は「政府の助成もあるが、その前に相互扶助があった。それがいちばん進んだ運営の仕組みだ」という趣旨を述べている。
設立に関わったのは2人である。 Liputan6(2024年7月17日)は、JaF が2005年からアリエフ・ユディ氏とギンギ・シャリエフ・ハシム氏によって続いてきたと書いている。同記事によれば、アリエフ氏はバンドンに長く住み、そこで Galeri Barak などの場を仲間と立ち上げたのち、それまで芸術というものが想像されたことのない土地へ帰って芸術を差し出すことを選んだ。
もう1人はもとの村長である。 Radar Majalengka(2022年7月20日)は、ギンギ・シャル・ハシム氏を JaF の発案者であり、ジャティワンギ郡ジャティスラ村の元村長として紹介している。
村役場との関係が制度になっている。 Koalisi Seni(2019年11月23日)によれば、JaF は2008年からジャティスラ村役場と組み、共同でつながり合う現代美術の関わり方を使って調査を行っている。
いくらかかったか
金額は、参照した4本のどこにも書かれていない。 unknown_fields に funding_scale を申告した。
分かるのは資金の質だけである。 アリエフ・ユディ・ラフマン氏は2024年2月、政府の助成もあるが、その前に住民の相互扶助があったと述べている(detikcom 2024年2月28日)。額でも比率でもなく、順序として語られている。
土地の側の元手についても、出典は設立者の語りを伝えている。 Radar Majalengka(2022年7月20日)は、JaF の発案者ギンギ・シャル・ハシム氏の語りとして、1905年、オランダ植民地政府が製糖工場をいくつも建てる計画に必要な資材を賄うため、住民に瓦と煉瓦のつくり方を学ぶよう命じ、産業化の仕組みもこのとき入ったと伝えている。この時期と JaF が使っている技能・土との関係を、同記事は書いていない。
真似するなら最低何が必要か
第一に、その土地が既に手を動かしてきた素材を選ぶこと。JaF は粘土を選んだ。ディレクターのパンドゥ・ラハディアン氏は、1905年から粘土を瓦にしてきた土地であることが、住民と地域を別の仕方で語り合ううえで働いたと述べている(Liputan6 2024年7月17日)。新しい素材を持ち込むのではなく、既にある産業の素材をそのまま使っている。
第二に、場所を新しく建てないこと。使ったのは既にある瓦工場の建物である(detikcom 2024年2月28日)。
第三に、相互扶助を先に置き、助成を後に置くこと。設立者は、住民の相互扶助が先にあり、政府の助成はその後だという順序で説明している(同)。
第四に、役場と組む形を制度にすること。JaF は2008年から村役場と共同で調査を行っている(Koalisi Seni 2019年11月23日)。団体と役場が別々に動くのではなく、調査という共同の作業を持っている。
第五に、催しに周期を決めること。住み込み制作の催しは2006年に始まり、2010年と2012年に名前を変えながら続いている(同)。瓦の祭りは3年ごとに開かれる(detikcom 2024年2月28日、Liputan6 2024年7月17日)。続くかどうかは、次がいつ来るかが決まっているかで変わる。
第六に、働く人そのものを主役にすること。催しの一つは、瓦工場で働く人の体づくりを競うものである(同)。作品を見せる催しと、働く人が出る催しの両方がある。
今どうなっているか
2026年8月時点で確認できたのは、2024年7月17日の記事までである。
18年目として報じられている。 detikcom(2024年2月28日)は、JaF がジャティスラ村にある集団かつ芸術の場として18年続いていると書いている。同記事は設立者の言葉として、この取り組みが芸術を好む人と一般の住民が出会う地点になり、マジャレンカ県が自らを「テラコッタの都市(kota terakota)」と掲げるに至ったと伝えている。 設立者は、建物の3割をテラコッタにするという内容が条例(Perda)にまでなったと述べ、これが他の都市との違いだとしている。
国の文化政策の中にも位置づけられている。 同記事で設立者は、自分たちで村の計画づくりの会議(出典の綴りは Musrembang)を開いたことで国の文化振興の場(PKN)にも招かれ、その結果、文化振興の10地域の手本の一つになったと述べている。
国外にも出ている。 Radar Majalengka(2022年7月20日)によれば、JaF は上演で注目を集めたのち、ドイツ・カッセルで5年ごとに開かれる documenta fifteen に美術作品を出した。陶による「Oemar Was Here」は、ジャティワンギの瓦を始めた人物とされるハジ・ウマル・マルーフ氏を世界に紹介するものだったとされる。
縮小や中断を伝える記述は、参照した4本の中には無い。 ただし4本のうち2本は2024年前半のもので、それ以降の記録には到達していない。
出典
- Jatiwangi Art Factory - Koalisi Seni — Koalisi Seni(2019-11-23)
- Jatiwangi Art Factory, dari Genteng Tanah Liat hingga Bisa Mendunia — Radar Majalengka(2022-07-20)
- 18 Tahun Jaga Jatiwangi Art Factory, Ini Caranya — detikcom(2024-02-28)
- Mengenal Jatiwangi Art Factory, Komunitas Seni Tanah Liat yang Gagas Pertunjukan Musik Rampak Genteng — Liputan6(2024-07-17)
この記述は間違っていますか。受け取ってから2週間以内に、直すか直さないかを返します。